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2010.12.17 おくのほそ道
こんにちは。松尾無精です。

松尾芭蕉が「みちのく」への旅に出た理由の一つが、
悲運の将・源義経の足跡をたどる旅でもありました。

「出羽街道中山越」は、今から830年ほど前、
兄・頼朝によって追われた義経一行が出羽から平泉に逃れたルートです。
そのルートを、逆に平泉側から歩いたのが芭蕉と曽良だったわけです。

では、義経の逃避行ルートと「おくのほそ道 出羽街道中山越」の
重複するポイントをご紹介します。
(以下、鳴子町史より引用)

「甘酒地蔵尊」「山神社」(軽井沢・宿から陣ヶ森周辺)
産後間もない北ノ方とともに陣ヶ森で一夜を明かそうとしていると、
猿が大地蔵と小地蔵に姿を変えて現れ、九尺四面の御堂を建てて、
北ノ方と亀若丸を休ませ、一方、義経主従には甘酒で接待をした。
翌日、別れ際に、自分たちもお産で苦しんでいるので助けてくれと懇願する猿に、
弁慶が安産の神として地蔵尊を祭ったところ、
後に、猿が甘酒を供えるようになった。
このことから里人はこの地蔵尊を「甘酒地蔵尊」と呼んだ。
中山宿跡にある「山神社」は、難産で難渋している里人に、
弁慶が錫杖(しゃくじょう)を作り、観世音菩薩を祈ったところ無事に出産した。
その錫杖を本尊として建立し、里人は安産の神として祀ったという。


陣ヶ森甘酒地蔵 義経伝説によって建立された「山神社」
今でも安産の信仰のある甘酒地蔵尊と山神社


「判官松と亀若松」(小深沢・大深沢・鳴子峡周辺)
陣ヶ森から星沼を抜けて旅立とうとする義経一行に、星ノ湯の湯守が
「この先の道は深い山道で、大深沢では天狗や猿が悪さをする」という。
これを聞いた伊勢三郎が「面白い」と先頭に立って歩いた。
白州原の中ほどの松並木にさしかかると、
伊勢三郎が突然襟首をとられて松の枝に宙づりにされた。
弁慶が呪文を唱え、印を切ったが効き目がない。
義経が「さては天狗のしわざなり」と小柄をぬいて打つと
天狗はもんどりうって落下し地面にたたきつけられた。
常陸坊海尊が術を持って天狗を石に変え、
弁慶がこれを大深沢に投げ捨てた。
後年、この松を「判官松」(義経のこと)と呼び、
隣の木を亀若松と呼んで厄除けの神とした。
弁慶が投げつけた石は岩にへばりついて「天狗岩」となった。


夏の大深沢 鳴子峡レストハウスからの眺め
義経らが天狗に会った大深沢と、天狗岩のある鳴子峡


「尿前の関」「弁慶の舟引き」 (尿前の関周辺)
出羽で生まれた亀若丸がここまで逃れてきて初めて泣き声をあげたので
「啼き子」と呼ばれ、「鳴子」の地名の由来になった。
また、初めて小水をしたのが「関所」の置かれていた場所だったことから、
その後「尿前の関」と呼ばれるようになった。
安心した北ノ方も、この地の河原湯を気に入り、
河原湯への往復の際、弁慶に舟を引いてもらったという…。

尿前の関 尿前の関付近・大谷川
亀若丸が始めて小水をしたといわれる尿前の関と弁慶が舟を引いたといわれる大谷川


いかがですか?
ほんの一部ですが、現代の私たちが歩いている「出羽街道中山越」のルート、
小深沢・大深沢、として星沼や中山宿跡、軽井沢には、
かつて芭蕉が歩いた道というだけではなく、
いろいろな歴史や伝説がちりばめられているんですね。
そんな知識を持って歩くと、歴史の道めぐりも、より楽しくなりますよ!



ぶしょう
松尾無精 記
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