上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010.06.17 おくのほそ道
はじめまして。
『奥の細道』出羽街道中山越ガイドマップ・制作スタッフの、

ぶしょう松尾無精(まつおぶしょう)と、同行者のそらまめ曾良豆(そらまめ)です。



松尾芭蕉が「奥の細道」に旅だったのは1689年。
芭蕉46歳、門弟の河合曾良40歳の時でした。

芭蕉翁とも呼ばれていたから
もっとおじいちゃんかと思っていましたが
無精よりもずっと若いし
曾良さんは曾良豆の倍近くの歳。

なかなか分からないことって多いですね。




さて、歳の離れた50代と20代の制作スタッフが
芭蕉さんたちの訪れた中山越えをベースに
いろいろと足で歩いて発掘した情報をお届けします。

どんな珍道中になるか、お楽しみに!

奥の細道・出羽街道中山越(中山平温泉)
ガイドマップ作りのメイキング・ブログ


はじまり、はじまり~!






俳聖・松尾芭蕉が江戸深川を旅立って
奥州・出羽の「枕詞」の地を巡ろうと旅立ったのが320年前。

考えてみると、そんな昔の足あと(ルート)が
残っているということに驚きます。



昨年は「奥の細道320周年」。
その名残が今年も続いているようです。

最近では、若い人たちが五七五で俳句をひねったり
五七五調でメールをやり取りしているとか。

また、中高年や海外の観光客にも
奥の細道」ルートが人気コースなんだとか。



芭蕉が弟子の曾良を伴って伊達藩に入ったのは
今の暦でいうと5月のこと。

  仙台~宮城野~塩釜~松島~石巻を経て一路平泉へ。

再び南下して、岩出山に入ったのが6月の末。

岩出山を7月1日に出立した芭蕉と曽良は
江合川に沿って歌枕の小黒崎、美豆の小島を眺めました。

その後たどりついた尿前の関できびしい取締りに会い、
ようやく身分が明かされ通行を許可されたものの
芭蕉はへとへとだった様子。

そのため、鳴子の湯に浸かる余裕もなく
そのまま険しい難所越えにチャレンジしたようです。


尿前の関
尿前の関

芭蕉の像   芭蕉の句碑
尿前の関の近くには芭蕉の銅像と句碑が。



我々制作スタッフが踏査を開始したこの時期
320年前にまさに芭蕉と曾良がこの近辺を歩いていたわけです。

整備された「奥の細道・出羽街道中山越」をたどっていると

  「いや、実は芭蕉たちのたどった道はもちっと、上の方でね…」

と地元の情報。

ならば、その足あとをたどらないわけにはいかない…と
親子ほども年の違う松尾無精と曾良豆が

  片や老体にムチ打って、片やムシに悲鳴を上げながら

遊歩道から外れる道もくまなく踏査しよう
と、心に誓ったのであります。

<ダイジョブか 足腰…? UVケア…>


= 次回へつづく =


ぶしょう
松尾無精 記

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。