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2010.07.20 おくのほそ道
こんにちは。松尾無精です。

今回は芭蕉のたどった「奥の細道 中山越え」のアプローチを2回に分けて。


   南部道遥かにみやりて、岩手の里に泊まる。
   小黒崎・みづの小島を過ぎて、
   なるごの湯より尿前の関にかかりて
   出羽の国に越えんとす。
   此の道旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、
   漸として関を越す。
   大山をのぼって日既暮ければ、
   封人の家を見かけて舎を求む。
   三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

     蚤虱 馬の尿する 枕元
     のみしらみ うまのばりする まくらもと


   (『奥の細道』「尿前の関」より)


ここで冒頭に出てくる『南部道』とは盛岡に通じる南部街道のこと。
『岩手の里』とは、伊達政宗公の居城があった岩出山のこと。
「古今和歌集」に詠われた枕詞の地が、『小黒崎』と『みづの小島』です。
『小黒崎』は荒雄川の北岸にある鳴子の名生定にあり、
『みづの小島』はその川の中の小島のこと。


尿前の関・説明板 小黒崎の芭蕉像
美豆の小島~尿前の関の説明板(尿前の関)と小黒崎の芭蕉像


江戸時代に芭蕉の足跡をたどり
奥細道菅菰抄(おくのほそみちすがごもしょう)
を著したのが蓑笠庵梨一(さりゅうあんりいち)(1714-1783年)でした。

梨一は、芭蕉と曽良の約60年後、
実際にその道のりを辿ったと言われています。

古今の歌集、文献をくまなく調べ、
芭蕉の訪れた枕詞の地の解説や、
出典などを明らかするなど、
今もなお優れた研究書として評価されています。


その中でもふれているのが、
枕詞の他に義経伝説です。


   なるごの湯は、啼子(ナキコ)の湯の誤りなり。
   義経の北の方、京の君の、亀破坂にてお産ありし若君を、
   弁慶が笈にかくし入れて、此所まで守り来たり、
   此湯を産湯として洗い申ける時に、
   若君はじめてうぶ声を上給ふ。
   故に此湯を、なき子の湯と名づく、と土民の説あり。
   湯は、温泉なり。
   尿前は、今 尿戸前と書く。
   義経の若君の、初めて尿(シト)をし給へる処なるべし。
   小児の尿(イバリ)を奥羽ではシトといふ。
   奥州平泉より、羽州新庄の舟形といふ所へ出る山道を、
   しと前越と云う。
   義経奥州へ下向の時、秀衡此処まで出迎たると云伝ふ。

   (『奥細道菅菰抄』蓑笠庵梨一より)


ずいぶん、古めかしいブログになってしまいましたが、ご容赦を。
「奥の細道 出羽街道中山越え」を語る時は、
このアプローチをしっかり把握していないと、

   芭蕉が封人の家に泊まった時に、
   枕元で馬が尿をしていたから、
   『尿前の関』と地名が付いた…

なんてカン違いをしかねないので…
(じっさい無精も、そんなカン違いをしている人にあった事があります)


尿前の関 尿前の関
義経の子が始めて尿をしたといわれる尿前の関


さて、アプローチは万全ですね?
次回、《後篇》につづく…


ぶしょう
松尾無精 記
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